キミ以外にほしいものはない

ピンク色の沼で遊んでます〜。

私が小瀧望くんに堕ちた話


2016年3月24日(木)は、私にとって忘れられない1日になりました。

ー私が小瀧望くんに堕ちた日ー

奇しくも、私が全身全霊で追い掛けてきた嵐の9年ぶりのアリーナツアーの当落日でもありました。


この話をする上で、まず話しておかなければならないことは、私が嵐の相葉雅紀くん担当であるということです。(過去形にできないところに私の弱さがあるのですが…。) 相葉くんの担当になったのは2008年です。中学1年生の年度始めに自己紹介文を書く際、好きな芸能人の欄があり、そこに相葉くんと書いたことが始まりでした。特に好きな芸能人がいなかったので、困った私が、ぱっと思い付いたのが当時好きでよく見ていた志村どうぶつ園に出演していた相葉くんでした。たまたま隣の席の子(今でも仲の良い友達。2人で免許合宿に行く仲です。今ではすっかり私の影響で濵田担に…。この話はまた今度。)が松本潤くんと書いていて、盛り上がったのを覚えています。周りにもたくさん嵐やジャニーズが好きな子がいて、私が嵐ファンになるのには時間はかかりませんでした。毎週のレギュラー番組、ラジオ、年に一回の会える機会コンサートが楽しみで、とてもとても遠い存在でしたが、純粋に嵐が大好きな中高生時代を過ごしました。


そんな私に転機が訪れたのは、ジャニオタにはあるあるですが、大学生になったことでした。私は実家を出て、一人暮らしを始めました。親からの拘束がなくなる。時間に余裕ができる。アルバイトを始め、自由に使えるお金ができる。応援のかたちに変化がおきるまさに絶好の機会でした。この年(2014年)のツアーで、私は初めて札幌ドーム公演に参加しました。それ以前の私は地元のナゴヤドーム公演のみ入っていたので、“嵐に会うために 飛行機に乗り 北海道まで行く” ことがなんだか本当のファンになれた気がして、凄く嬉しかったのです。このツアーでは、京セラドーム、ナゴヤドーム、東京ドームと計7公演入りました。翌年(2015年)、大学2年生になった私は更に味を占め、Blast Miyagi 4公演、ツアー 15公演に入り、さらに番組観覧にも行き始めました。この番組観覧が私にとって本当に大きな変化の訪れでした。コンサートとは違う一面が見れること。月に1、2回とコンスタントに会えること。これがたまらなく魅力的でした。この魅力に取り憑かれた私は、関西に住んでいるにも関わらず、週1で東京に通い、月に2、3回会うことが当たり前になりました。この当時の私は、相葉くんが兎にも角にも大好きで大好きで大好きで、本当に大好きでした。今振り返ると、自分でもあの当時の私は狂っていたなと思うほどです。


そして、迎えた2016年の春休み。やっとこの話の本題に入るのですが、その前にもう少しだけ話しておきたいことがあります…。(ごめんなさい。お付き合い下さい。) そんな相葉愛に狂っていた矢先、私はメニエール病という耳の病気に罹りました。風邪が治っても耳詰まりが取れず中耳炎かなと思い、かかった耳鼻科でメニエール病と診断されました。若い女性に罹りやすい病気であり、原因はストレスだと言われました。当時の私は月に2、3回会えるだけでは物足りず、明日も会いたい、明後日も会いたい、とにかく毎日会いたいと思っていました。また、周りにちょっとした関係者がいたので、話を聞いたりしていたこともあり、私ももっと近づきたいという気持ちと、いや、近づきすぎたら駄目だという気持ちが葛藤し、自分でも知らない間にかなり大きなストレスになっていました。( 実は月経も止まりました…。) 


2016年3月24日(木)。迎えたこの日は、昨年から友人に誘われていたジャニーズWEST大阪城ホールでのコンサートの日でしたが、大好きな相葉くんのテレビ収録も被っていたので、実はコンサートに行くかどうかかなり悩みました。何度もコンサートを蹴って、東京に行こう と思ったのですが、友人が泊まりにくるし、前から約束していたことだったので、コンサートに行くことにしたのです。今思うと、これは運命だったと本当に思います。席はアリーナの前から6列目。こんな気持ちの私には本当に勿体無い席でした。久しぶりのアリーナのコンサート。こんなにステージが近いのかと驚きました。始まったコンサートでは、私は最初ずっと藤井流星くんを見ていました。相葉くんと共演していたこともあり、顔を知っていて、かっこいいなあと思っていたので…。そして、MC明けに新曲を披露することになりました。運命の瞬間へのカウントダウンが始まります…。


新曲「逆転Winner」の歌い出しで小瀧望くんは歌詞を間違えてしまいました。それから曲が終わるまで、にやにや笑っているその姿に

ーなにこの可愛い生き物!?ー

堕ちました…。今でもこの瞬間を鮮明に覚えています。はっとして、稲妻が落ちてきたその瞬間が忘れられません。そして私は小瀧くんから目が離せなくなりました。家路につき、冷静になった私はそんな瞬間があったにも関わらず、自分が小瀧くんを気になり始めていることを認めたくありませんでした。今までひたすら相葉くんだけを大好きでいたのに…。あれ?どうして?なんで?そんな感情がぐるぐると頭を駆け巡っていました。それでも、その感情から抜け出すのは案外すぐだったのです。YouTube少年倶楽部やリトルトーキョーライブ、ドヨルシリーズなんかを見漁り、Vineで過去のラジオを聴いたり…。また、それだけでは物足りず、コンサートから1週間も経たないうちにコンサートDVDを注文していました。それから今の現状に至るまでは早かった…。というより、ジャニーズWESTの沼は深かった…。


6月12日現在の私は正直なところ、相葉くんを担当と言えるほど、相葉くんを追えていません。もちろんテレビを見たら、かっこいいな〜 好きだな〜 とは思うけれど、録画番組をわざわざ見る気になりません。ラジオも聴いていません。しかし、毎週水曜日の小瀧くんが出演する「世界一難しい恋」は生きる希望で、楽しみで楽しみで仕方ないし、金土日のWESTが担当するラジオは聞き逃さないようにしているし、WESTが載っている雑誌はとにかくなんでも購入、毎日コンサートDVD (最近はもっぱらパリピポ)を見ないと気が済みません。頭の中は小瀧くん、ジャニーズWESTでいっぱいの状態です。


なんだか結局何が言いたかったのか、自分に文才がない為によくわからなくなってしまいました。ただ、今の私に言えることは

小瀧望くんを好きなって、今、凄く凄く幸せであるー

ということです。小瀧くんは、ストレスでいっぱいいっぱいになっていた私を救ってくれた救世主だと思っています。(メニエール病も治りました。)

そしてもうひとつ。

ー人生は何が起こるか本当にわからないー

ということ。あんなに相葉くんが大好きだった私が、あっという間に小瀧くん大好き人間に変身してしまったのです。もし、あの日私がコンサートを蹴って、東京に行っていたら…。アリーナのあの席じゃなかったら…。たぶん私は小瀧くんに堕ちていなかったはずです。まさに運命。


 もしかしたら、軽率にそのうち担降りブログを書いているかもしれないけれど、今も相葉くんを担当と言い続けているのはやっぱり青春時代を捧げてきたから簡単に離れられない、離れたくないという気持ちがあるからなので、現状の私は 相葉雅紀くん 小瀧望くん 2人が好きです。いわゆる掛け持ちをしています。この2人が共演するワクワク学校が迫る今日この頃に、どうしても文字というかたちで私が小瀧望くんに堕ちた話を残しておきたかったので、今ほっとしています。夜も眠れないくらい楽しみなワクワク学校。嵐にとってもジャニーズWESTにとっても、ファンにとっても素敵な時間になることを祈っています。あわよくば、2組の距離が縮まりますように…。